メガネ手帖

メガネ手帖

メガネが綴る日々の出来事、妄想、空想、よしなしごと

後世に残すもの

僕は、僕達は、いつか死を迎える。それは仕方のない事だ。
しかし、僕はそのことを考えると、いてもたってもいられなくなる。
「自分」という存在が消えてしまう日。
僕には、一体何ができるというのだろう。何を残す事ができるのであろう。 

それは、例えば子供であるかもしれない。
或いは偉大な功績であるかもしれない。

そう、僕達は「自分」が確かに存在したという事実を、この世に残さずにはいられないのだ。それは本能と考えても良いかもしれない。

ああ、僕らはこのちっぽけな命を、存在を、生きた証を。
なにかを残し、伝えていく事ができるだろうか。

僕はこの限られた『人生』という時間を一生懸命生きる事で、なにかを残したい。
そう願っている。

そういうわけで、僕は今日晩御飯に出てきたきゅうりを残しました。
無理。だって嫌いだもん。

 

 

愛想笑いは優しさか、それとも媚びか

このブログは大きく「日記的な」と「真面目な」の2つにカテゴリ分けしようと思っていまして、「真面目な」記事はブックレビューと仕事に関する話、それと今回みたいな「単に思ったこと」を書こうと思ってます。このカテゴリの文章には特にオチはないので許して下さいw
 
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こないだとあるミーティングがあって、取りまとめの人が全体(20人くらい)に向けていろいろ説明してくれていた。その中で彼はちょっとしたジョークを言っていて、僕はそれにハハッと笑って、それでその場は終わって。
 
その後メンバーで話してたら、1人が「メガネはあのジョークに1人だけ笑ってたな。愛想笑い?」って言われた。続けてもう1人が「まぁ処世術ってやつでしょ、大人だし」と言う。確かに特に面白いってことはなかったので愛想笑いと言えば愛想笑いなんだけど、これを愛想笑いと言うのかどうか、なんだかモヤモヤしつつ、上手く言葉にできそうにないので「まぁなー」と言葉を濁してその場は終わった。
 
その後、帰ってきてからアレはなんだったのかなとぼんやり考えてた。それでちょっと整理できたんだけど、アレは言葉にすると「喋ってる人を楽にしたい」とか「場を和やかなものにしたい」ということなんだな、と思う。
 
僕は仕事柄なのか性格のせいなのか、「多くの人に向かって何かを説明する」という立場になることが多い。そういう時に、聞いている側の反応が全くないというのは結構ツラい。うなづいてくれる人がいるだけで救われるし、他愛ないアイスブレイクに笑ってくれたりしたらホッとする。
 
そういう心理を知っているので、「説明する人がなんか場を和まそうと努力している」のを見ると、笑って「ちゃんと聞いてますよ、大丈夫ですよ」というサインを送る。これがもうほとんど自動的に行われていることに、自分でも気付いていなかった。
 
だからこれは愛想笑いではないのだ、と自分では思ってるんだけど、周りから見ると「アイツは媚びている」と見えるんだろうか。こういう感覚って持ってる人と持ってない人が完全に分かれている気もする。だいたい「反応する人」って決まってるのだ。
 
前で誰かが話しているのに、ほぼ無反応でリアクションを全くしない、という人もだいたい決まっている。たぶん別に悪気があるわけじゃなくて、それが前の人や場に与えるプレッシャー、雰囲気への影響力に気付いていない、あるいはあまり気にしていないという事なんだろう。
 
こうやって書くと僕がいい人みたいな書き方になるが、例えば逆に前で喋ってる人に好感を持っていない場合は、あえて反応しないみたいなことをしたりするので、別にいい人ってわけでもない。知っておいてそういう使い分けをする分、余計に意地が悪い。
 
まぁでも多くはそういう反応を無意識的にしてしまうし、場は和んでくれた方がいいに決まってるので、できればこういう感覚を持っている人が増えてくれたら嬉しいなとは思っています。
 
ちょっとした違和感だったんだけど、こうやって言葉にして自分の中で整理できたのは嬉しい。こういう「ん?」と思ったようなことは、放置せずできるだけ言葉にするようにしていきたい。
 
 

世界遺産検定と中島らも

世界遺産検定」というものがある事を知り、以前から気になっていたので仲間と話をしていた。すると、たまたますでに資格を持っている後輩がいて、「楽勝ですよ。4択だし、これはあり得ないっていう選択肢なので、消去法で余裕です」と言うので、よしそれならと軽い気持ちで申し込んだ。

さて、そして試験2週間前になった時に、たまたま「世界遺産検定3級 厳選!問題集」というアプリがあることを知ったので、ダウンロードしてやってみた。その第1問がこちら。

世界遺産条約誕生のきっかけになった出来事を選べ」
A モアイ像が盗まれたこと
B フォロ・ロマーノの建築
C アス・ワン・ハイダムの建設
D モン・サン・ミッシェルの建築

いやいやいやいや、全然わかんねーじゃねーか。誰がこんなの消去法で解けるんだよ。無理。ちゃんと勉強しないと全然無理。だけど合格率80%、誰でも取れるって言われるレベルなので、落ちたらカッコ悪い。後輩にもバカにされてしまう。

というわけで慌てて本を読み込み、なんとか合格しました。よかった、なんとか面目が保てる。これで僕の「よく分からない技能/資格シリーズ」の中に「世界遺産検定」が加わりました。
・芦屋市スーパーマリオ大会第3位
・将棋 初段
・スキューバライセンス(OW)
・吹き矢検定 2段相当(資格未取得)
・バーベキューインストラクター
世界遺産検定 3級 (NEW!)

まったく実生活に役立たないラインナップ。なんでそんなのやってるの?とよく聞かれるのだが、遡れば学生時代に読んだ中島らものコラムがきっかけである。はっきり覚えてはいないが、「旅行をする時は、分度器とかねじとか、どう考えても役に立ちそうにないものを持っていくと、旅に奥行きが生まれて良い」とかそういう感じだったと思う。

なるほどそれは面白いな、と思い、実際にスキー旅行に分度器を持っていった事がある。当然全く役には立たなかったが、「たぶんこのスキー場で唯一、僕だけがこのスキー場の傾斜を測る事ができる」というよく分からない楽しみを持つ事ができた。これが奥行きというものだろうか。

この経験を拡大し、「人生という旅にも、どう考えても役に立ちそうにないものを持てば、奥行きが生まれるかもしれない」というのが僕の原体験である。「なんで」という質問に対し、これを全部説明して「だから世界遺産検定を取ったんだ」という説明をいちいち人にしていたら「なんだコイツ」となることは明白である。そもそも話が長い。

なので、いつも「いや、面白そうだから」で済ましている。しかしまぁせっかく自由に書けるブログなので長々と書かせてもらった。結果として「なんだコイツ」と思われるのは変わらない気がする。なんだコイツ。

 

ウォシュレットによって増えたうんこの量を調べてみた

友達と話していて、「ウォシュレットを使うとまたうんこがしたくなってしまい、それを繰り返して無限にうんこが出てしまう」という話が出た。

おっと、突然汚い話をして大変申し訳ありません。今日は延々とこの話をしますので、お食事中の方はご遠慮ください。興味がない方はすぐに戻るボタンを押していただいた方がよいかと思います。よろしくお願いします。

さて、ウォシュレットである。この「あるある」は使ったことがある人ならみんな体験したことがあるだろう。ということは、みんなちょっとずつ「ウォシュレットのせいで多めにうんこをしている」ということになる。そこで疑問が生まれる。その増えたうんこ、いったいどれくらいの量なのだろうか。

調べつつ推測してみよう。まず成人の1日のうんこの量はだいたい200g〜300gだそうだ。ここでは間の250gとしよう。ということは、365日で91.25kgになる。ちょっとビックリした。僕たちは1年でこんなにうんこをしているのか。考えたこともなかった。

そしてウォシュレットを使うことにより、これが少し増えている可能性がある。ここはもう完全に仮定だが、5%増えると考えてみよう。すると、91.25kg×5%で4.5625kg。なんとざっくり言って、1人につき年間約4kgのうんこがウォシュレットのせいで増産されているということになる。すごい量だ。

では日本全体ではどうだろうか。現在の日本の成人人口は約1億人である。ということは、91.25kg×1億で、約91万トン。現在の日本のGDU(Gross Domestic Unko。国内総うんこ量)は91万トンとなる。
 
ただ日本の成人が全員毎回ウォシュレットを使っているわけではない。そこでまずウォシュレットの家庭普及率を調べてみると、なんと80%という統計が出ていた。
 
しかしこれはちょっと感覚的に多い気がする。
おそらくオフィスビルや駅など、古い建物はまだウォシュレットが付いていないケースも多く、そこでうんこをする人もかなりの数いるだろう。ウォシュレットを使わないという主義の方もいる。ここはエイヤで、だいたい全うんこ回数の50%がウォシュレットを使うことがあるだろう、と仮定してみる。
 
そうするとGDUの91万トン×50%×5%なので、日本全体では22750トンのうんこがウォシュレットのせいで増産されているのだ。
 
すごい。計算してみて、その量のすごさにも驚いたのだが、それよりもこの情報の「どうでもよさ」がすごい。「ふーん」とすら思えない。なんなんだろうこの虚無感は。
 
ただ今回これを調べる中で、「成人 うんこの量 1日」で検索したところ、「成人の1日のうんこの量は200〜300gと言われているが、実際に調べてみないと納得ができないので、毎回うんこの量を実際に計測することにした」と言って、1週間のうんこの量を計測して、それを載せている人のブログを発見した。
 
世界は広い。世の中には、僕たちが考えもしないなような領域で、みんなそれぞれが何かと戦っている。僕はこのうんこを実測している人のブログを読んで、勇気をもらった気がした。
 
そんなわけねぇだろ。
 

レッテルを貼らない

人にレッテルを貼り付けて、勝手にその人を評価してしまう、というのは良くない行為だ。そう分かっているのに、例えば僕らは「ニート」だとか「ナマポ」だとかで勝手にその人の人格まで分かった気になってないか。もっとその人の事を知り、レッテルではなく一人の個性として分かり合うべきだと思う。

僕もそういうところがある。僕も「スチュワーデス」とか「モデル」とかいう響きだけで、勝手に「高飛車な女」とレッテルを貼ってしまっている。それではいけない。もっと彼女たちの事を知るべきだし、知り合って、飲みに行ったりBBQしたり海に行ったりして、深く分かり合う事が必要だ。だから誰か、僕にスッチーとかモデルを紹介して下さい。

あ、あと「美人女教師」っていうのにもレッテル貼ってるので、それもお願いします。まんじゅうこわい

ブックレビュー : 水野学「センスは知識からはじまる」

【要旨】
今はあらゆるところで「センス」を求められる時代である。筆者は、「センス」とは「数値化できない事象を最適化すること」と定義し、それは閃きや生まれ持ってのものではなく、日々の意識やトレーニングである程度は身につけることができる「スキル」である、と説いている。

その「センス」を身につけるために、筆者は
・幅広い知識を蓄えること。「王道」や「普通」を知り、自分の中に「基準」を持つことで、良いものや悪いものが分かるようになる
・「流行り」を知ること。「王道」と「流行り」を知ることで、知識の幅がグッと広がる
・「共通項」や「一定のルール」がないかを考えてみる。見つけたら、それをできるだけ客観的な言葉に落とし込む。
という3つの方法を推奨しており、本の中ではそれらをどのように実践していくのか、具体的な例を添えながら説明されている。

【考察/感想】
自分にはセンスがない、センスに自信がないという人は多いと思うし、僕もその1人だ。そういう僕らにとって、センスとは天性のもの、あるいは特別な訓練をして身につけるものだと思い込んでいる。しかしこの本はタイトルを見ただけで「ひょっとして自分にも身につけることができるのでは」という気持ち、希望のようなものが感じられ、つい手に取ってしまった。まずタイトルにセンスがあるなと(笑)

そして書かれていることはたいへん具体的で、明日から実践できるレベルのことばかりで大変参考になった。個人的に1番腑に落ちたのは「客観的に把握したことを言語化することでセンスが磨かれる」という部分。例えばファッションを考えるにあたり、自分の身体的特徴について「足が太い」だけではなく、「太もも部分は太いがふくらはぎは細い」と詳細に把握すること。あるいは、人気のお店を見る時に「オシャレだな」ではなく「壁の色は明るめだが床の色は暗めという共通項があるな」というように言語化することで、次に違うものを見た時にそれと比較して考えることができるようになる、というもの。これは実に腑に落ちるので、様々なものに対して行う癖をつけていきたい。

 

メンヘラ女とポイ捨て男

明けましておめでとうございます。2018年は総じて楽しい1年でした。2019年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
それにしてもお正月、いらない広告メールが死ぬほど送られてくるな。なんかメールが来た、と思ったら広告。朝起きたら何件も溜まっていて、もう腹立つので、年始はいらない広告メールが来たら片っ端から「配信停止」の手続きを繰り返していた。
 
この配信停止手続き、簡単なものはワンクリックで停止できるが、面倒なものは ログイン→個人ページに移動→配信停止の設定 という手順を踏まなければならない。酷いのになると、「本当に停止しますか?」と何度も聞いてくる。実に面倒くさい。まるで別れ話ですがりついてくる恋人のようだ。
 
しかしそもそも、メルマガを欲しいと言い出したのは僕だったはずだ。設定した当時はその情報を欲していたし、送られてくる情報にちゃんと目を通していた。それなのに、不要になったらワンクリックでポイしようだなんてヒドイ。僕の中に住んでいる小さな乙女が「ヒドイ男…」と僕を非難してくる。40歳おっさんの心に乙女が住んでいる、という気持ち悪さはこの際忘れてほしい。
 
そうよ、ワンクリックでポイなんて。私はあなたにとって都合のいいだけの女(メルマガ)だったの?いらなくなったから簡単に捨ててしまうの?付き合ってと言い出したのはあなたのくせに。あんなに求め合ったじゃない。あんなに優しく私を読んでくれてたじゃない。あの時のあなたはどこにいったの?どうか思い出して。あの頃の楽しかった日々を思い出して…。
 
だんだんこっちが悪いことをしているような気がしてきた。配信停止をするたびに心が痛む。ごめんよ、君は悪くない。君はそのままでいいんだよ。悪いのは変わってしまった俺の方なんだ。などと懺悔しながら過ごす2019年のお正月。幸先いいですね?