メガネ手帖

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メガネが綴る日々の出来事、妄想、空想、よしなしごと

愛想笑いは優しさか、それとも媚びか

このブログは大きく「日記的な」と「真面目な」の2つにカテゴリ分けしようと思っていまして、「真面目な」記事はブックレビューと仕事に関する話、それと今回みたいな「単に思ったこと」を書こうと思ってます。このカテゴリの文章には特にオチはないので許して下さいw
 
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こないだとあるミーティングがあって、取りまとめの人が全体(20人くらい)に向けていろいろ説明してくれていた。その中で彼はちょっとしたジョークを言っていて、僕はそれにハハッと笑って、それでその場は終わって。
 
その後メンバーで話してたら、1人が「メガネはあのジョークに1人だけ笑ってたな。愛想笑い?」って言われた。続けてもう1人が「まぁ処世術ってやつでしょ、大人だし」と言う。確かに特に面白いってことはなかったので愛想笑いと言えば愛想笑いなんだけど、これを愛想笑いと言うのかどうか、なんだかモヤモヤしつつ、上手く言葉にできそうにないので「まぁなー」と言葉を濁してその場は終わった。
 
その後、帰ってきてからアレはなんだったのかなとぼんやり考えてた。それでちょっと整理できたんだけど、アレは言葉にすると「喋ってる人を楽にしたい」とか「場を和やかなものにしたい」ということなんだな、と思う。
 
僕は仕事柄なのか性格のせいなのか、「多くの人に向かって何かを説明する」という立場になることが多い。そういう時に、聞いている側の反応が全くないというのは結構ツラい。うなづいてくれる人がいるだけで救われるし、他愛ないアイスブレイクに笑ってくれたりしたらホッとする。
 
そういう心理を知っているので、「説明する人がなんか場を和まそうと努力している」のを見ると、笑って「ちゃんと聞いてますよ、大丈夫ですよ」というサインを送る。これがもうほとんど自動的に行われていることに、自分でも気付いていなかった。
 
だからこれは愛想笑いではないのだ、と自分では思ってるんだけど、周りから見ると「アイツは媚びている」と見えるんだろうか。こういう感覚って持ってる人と持ってない人が完全に分かれている気もする。だいたい「反応する人」って決まってるのだ。
 
前で誰かが話しているのに、ほぼ無反応でリアクションを全くしない、という人もだいたい決まっている。たぶん別に悪気があるわけじゃなくて、それが前の人や場に与えるプレッシャー、雰囲気への影響力に気付いていない、あるいはあまり気にしていないという事なんだろう。
 
こうやって書くと僕がいい人みたいな書き方になるが、例えば逆に前で喋ってる人に好感を持っていない場合は、あえて反応しないみたいなことをしたりするので、別にいい人ってわけでもない。知っておいてそういう使い分けをする分、余計に意地が悪い。
 
まぁでも多くはそういう反応を無意識的にしてしまうし、場は和んでくれた方がいいに決まってるので、できればこういう感覚を持っている人が増えてくれたら嬉しいなとは思っています。
 
ちょっとした違和感だったんだけど、こうやって言葉にして自分の中で整理できたのは嬉しい。こういう「ん?」と思ったようなことは、放置せずできるだけ言葉にするようにしていきたい。