説明責任なんていらない
こないだテレビでカレーの「ココイチ」の特集をやっていた。 カレーチェーンではダントツの1000店舗越えの秘密に迫る!みたいな番組で、ココイチ社長夫妻の秘話などが紹介されていた。
見ていて驚いたのは、経営手法うんぬんよりその「味」のヒミツだ。なんとココイチでは、作ったカレーをあえて一旦冷凍し、それから出荷するという手法を取っているそうだが、その理由がすごい。
「やってみたらそのほうがおいしかったから」
さらに、スタッフからの「なぜ冷凍したらおいしくなるんですか?」という質問に対しては、
「それはわかりません。でもおいしかったんです。」
という明快な回答。なぜかはよくわからないんだけど、とりあえず工場には凍らせるためのすごい設備も整えてあって、全自動でグイーンって冷凍庫にカレーを入れるでっかい機械が動いていた。
すごいなぁ、ココイチ。その機械を導入するための稟議書、理由はどう書いてあったんだろう。「よくわからないけどおいしくなるから」とかそんな理由で稟議が通るんだろうか。
しかし思えば今、世間は「説明責任」という言葉が溢れすぎてはいないか。政治を見ても経済を見ても、とにかく「説明」「説明」。明らかに苦しいとわかっていながら、半ば「言い訳」と化した説明になんの意味があるだろう。まやかしの安心感のために理由を捏造するなんて、それこそ本末転倒じゃないか。
もっと自由に、理由に縛られないことをやってみてもいいんじゃないだろうか。もっと自分の感性を大事にしてもいいんじゃないか。ココイチはそんな大事なことを教えてくれた。
だからボクは、もう明日仕事休んじゃう。理由はめんどくさいから。