メガネ手帖

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メガネが綴る日々の出来事、妄想、空想、よしなしごと

発砲スチロールで作られた家に泊まってきた

毎週更新と言っていたくせに、気がつけば3か月も経ってしまっていた。この3か月間、家族で横浜に行ったり仕事でアメリカに行ったり忙しく過ごしていたので、そのあたりのことはまた機会があれば書きたいと思います。

で、今日は先日「発砲スチロールで作られた家に泊まる」という体験をしてきたので、そのことについて書こうと思います。なにを言っているのかわからねーと思うが、おれも何をやっているのかわからなかったぜ…

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でまぁ真面目に書くと、あるボランティア活動に私は参加していまして、その中で「面白い人だな」と思った人を見つけたら、その人のことを調べ、興味が湧けば会いに行って話を聞いてくる という活動があります。その一環になります。(ということにしています)

ある日ネット記事を読んでいたところ、「発砲スチロールで作った家を担いで歩き、それで日本全国を歩いて旅している人がいる」という記事を読み、なんだこりゃと思って調べたところ、なかなか面白い考え方をしている人だなと感じたので、連絡を取ってみたのです。

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その記事がこちら
https://gendai.ismedia.jp/list/author/satoshimurakami

その方は村上さんというのですが、村上さんは快く返信をくださり、さらに「もし興味があれば、今ちょうど泊まりに来てもらうというワークショップをやってるので、泊まりに来てください」と誘って下さったのだ。

予想外の展開である。しかし場所は東京である。正直言って遠い。気軽に行きますと言える距離ではないが、かと言ってこちらから声をかけた手前、無下に断るのも失礼な気がする。どうしよう、いつのまにかピンチに追いやられてしまった。

いやしかし冷静に考えよう。ピンチはチャンスである。考えてみればこれから先、発泡スチロールの家に泊まれることってあるだろうか。たぶん一生ない。そう考えたら、これって一生の1度のチャンスなんじゃないのか。いつのまにか僕は「ぜひぜひ!」と二つ返事で返信してしまっていた。

しかし当然行くにあたっては、泊まりなので妻には説明しなければならない。勇気を出して「発泡スチロールの家に泊まりに、東京に行ってきていいか」と聞いたところ、「なにそれ?なんで?」という、当然のリアクションが返ってきた。

よし理由を説明しようとしたが、驚いたことに僕自身もそれがなんなのか、なんでそんなことをしなきゃならないのか、全くもって説明できないことに気付いた。論理的な理由が一切ない。最終的には「行きたいから」という小学生みたいな理由しか説明できず、それに対し「行きたいなら行っておいで」という承諾を得た。家族の理解(または諦め)に感謝である。


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さて、そういうわけではるばる東京へ。
駅で村上さんと待ち合わせると、さっそく家に案内してくれるとのこと。後についていくと、駅から歩いて5分ほどで大きな平屋に到着した。どうやら村上さんは、アーティスト仲間たちと共同で家を借りており、そこをアトリエとして活用しているらしい。中に入ると、アーティスト仲間の方々が作業をされており、村上さんから「今日泊まる人です」と紹介される。その仲間の方から、「ああ、チェックインですね」と言われて笑ってしまった。チェックインて。

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例の「家」は、村上さんが友人たちと借りている「アトリエ」のベランダに置いてあり、僕は門からベランダまで歩いて入って家にチェックインする、というルールだ。写真の通り、発砲スチロールとは思えないほどしっかりした見た目になっている。すごい。単純にその見た目に関心する。そして村上さんからペンを渡され「表札に名前を書いて下さい」と言われる。見ると、入口の上にホワイトボードのようにペンで書けるようになっている。名前を書くと「自分の家 感」が増すのではないかと思ったが、この名前を書く位置からして、離れて見るともうほとんど犬小屋の佇まいだった。
 
さっそく中に入ってみると、これが思ったよりも広い。幅80cmくらい、長さ170cmくらいなので、シングルベッドよりも少し狭いかなというくらい。思っている以上に快適で、下手なカプセルホテルよりも全然いい。
 
チェックインして、さっそく村上さんにインタビューをさせて頂く。ベランダに2人で腰を掛け、日本酒を飲みながらあーだーこーだと話を聞く。最高に面白い瞬間である。1時間ちょっとくらい話し込んでインタビューは終了し、村上さんは自分のアトリエに戻っていった。(インタビュー内容は後述)さてポツンと一人になり、時間は19時。ご飯でも食べようかなと、家に荷物を置いて食事に出かけることにした。
 
1人で見知らぬ街をウロウロするにあたり、インタビューの時に村上さんが言っていた「街が自分の近所になる」という感覚が生まれるか、ということを意識しながら歩いてみる。せっかくなのでGoogleマップを使わずに歩いてみようと思い、近くを歩いている人に美味しいお店がないか聞いてみる事にした。村上さんの言うところの「周りの人たちもご近所さんだと思える」というような感覚が味わえるか、という実験だ。
 
しかしこちらは特別な体験でテンションが上がっているせいかオープンなマインドになっているが、相手は普通に生活している人である。突然話しかけられ、ちょっと不審そうな顔をするおばさんやおじさんがほとんどである。そうかと思えば、すごく親切に話してくれる兄ちゃんもいた。とりあえず地元で評判のラーメン店に入ってみる。美味しかった。
 
さて次はお風呂に入りたい、と言うわけでまた聞き込みをする。最初に聞いたおじさんには「そんなもんねえよ」と一蹴されてしまうが、そのあと「となりの駅まで10分くらい歩いたら着く、そのへんにある」と教えてくれた。どうやら「近くに銭湯ありませんか」という僕の質問の「近く」に対して誠実に回答してくれたようで、なんだか嬉しい気持ちになった。とりあえず言われた駅の方向へプラプラと歩いて行くと、10分ほどでいい感じの銭湯を発見した。

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銭湯はいい感じにさびれていて、レトロ感が最高である。サウナと水風呂がちゃんと付いていたのでそれを満喫する。さびれていてそうな外観とは裏腹に中は意外と混んでいて、狭いサウナに男がギッシリ詰まっているのはさすがに暑苦しかった。
 
銭湯を出て、さて家に帰ってきた。やろうと思えばPCで作業などもできたが、せっかくの機会なので何もしない贅沢を満喫しようと思い、家の横のベランダスペースでゴロンとしてぼんやり考え事をする。庭を眺めながらなにもしない。これはいいな、最高の贅沢だな、と思ったのもつかの間、あっさりと寝落ちしてしまった。せっかく発砲スチロールの家に泊まりに来たのに、その隣のベランダで2時間ほど寝落ちしてしまう。何をしに来たんだ。
 
慌てて家に入って本格的に寝ようと試みると、今度は雨が降ってきた。雨音が発泡スチロールに当たる音は高く、こんなに雨音を近くに感じて寝ることも珍しい。思わず録音してしまった。そしてそのまま眠りにつく。
 
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朝になって目を覚ますと若干身体が痛かったが、テントで寝た時も似たようなものだ。朝には村上さんのインタビューを受ける事になっていたので、村上さんから聞かれた質問に対し、感じたことをそのまま伝えた。
 
まず「全てがご近所のように感じられる」といった村上さんの感覚だが、残念ながら僕はそれを感じることはできなかった。僕にとってこれは「宿泊先」であり、旅行に出かけてホテルを拠点として動く、という感覚とさほど変わりはなかった。
 
おそらくこれは、「家を作る」であるとか、「その家を置く場所を交渉する」といったような、家を獲得するプロセスを体験していないからだろうなと思う。要は自分のものと感じていないのだ。だからどこまでいっても他人の家だし、自分の家の近所と感じることは難しいだろうなと思う。
 
また、雨で外は冷えてきていたのだが、発泡スチロールの中は思いのほか暖かく、寒いと感じることはなかった。足が伸ばせないのは若干ツライが、それさえ除けば発泡スチロールハウスは割と快適に過ごせる事がわかった。貴重な体験だ。もし僕が路上で生活することになったら、ダンボールではなく発砲スチロールに住もう。
 
自分の体験を語っていると、今度は逆に「他の人はどんな風に感じたのか」をぜひ聞いてみたい気持ちになった。村上さんもこういう気持ちだったんだろう。このワークショップに参加した他の人が、「この泊まったメンバで同窓会みたいなことをしたらどうか」という話をしたらしく、もしそういうのが開かれるのであれば僕もぜひ参加したい。なんだかよくわからない会になることは間違いないが。
 
この成果は何かで発表するのか聞いたところ、京都のギャラリーかなにかで、展覧会として展示するかもしれないという。自分の体験が展示されるというのは面白い、もし実現されるのであればぜひ見に行ってみたい。

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家の中で優雅に朝食を食べるメガネ

個人的には非常に有意義な旅だったと思うのだが、40歳の2人の子持ちのおっさんがすることではないな、とは思った。楽しかったです。

 

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以下は、最初に村上さんに聞いたインタビューです。ご参考までに。

 Q. そもそも村上さんは何をやっている人と考えれば良いですか。

・芸術家、とか作家、だと自分では思ってます。もともと建築学科にいたが、人のものを作る気がどうしてもしなかった。家って自分の身体の延長と言ってもいいと思う、そういう大事なものについて、人に設計を頼むということがそもそもおかしい、という思いがあった。
 
Q.なんで家を背負って歩こうと思ったのか。
いくつかの思いが重なってのことだった。
・もともと散歩が好きだったが、家を出る時に母に「どこに行くのか」と聞かれるのが嫌だった。目的地がなければならないのか、歩くことそのものが目的ではダメなのか
 
・ビアガーデンでバイトをしていた頃、雨が降って客も来ないから「閉めましょうよ」と店長に相談したところ、「上に確認しないと閉められないから、ちょっとテーブル拭いておいて」と言われた。雨の中テーブルを拭くという作業の無意味さに、現場と世の中を牛耳っているシステムとの間に乖離があると感じた。同じように、家賃を払って家に住んで生きる、そのために働くという繰り返しの行為に嫌気がさした。国が管理のために所有者を明確にして…という理屈、システムは理解しているが、本来誰のものでもない土地を誰かのものとして、それにお金を払うのは正しいのか。本当にその方法でしか人は生きられないのか。もっと他のやり方、バージョンがあるんじゃないか、という思いがあった。
そこから、「今がおかしい」ということを表現するには、今を相対化するという'か、全く違うことをすれば、逆に今がどういう状態かもっとクリアに見えてくるのでは、という発想から、移動する家ということを思いついた。
・家を移動させながら家の絵を描いて、それを中心にした展覧会を開く、ということを思い描いて、それを一旦のゴールとした
 
Q.実際に歩いてみてどうだったか
・毎日歩いて、色々な人に会い、その人が知り合いを連れてきて、よく分からない人たちと飲んで、別れて、また次の街でいろんな人に会い…という、特別な毎日の連続だった。そうすると、毎日がただ通り過ぎて行くだけのもの、という気がしてきた。自分の体験として定着していないという感覚、自分がなくなってしまうという感覚。いつもの場所で、同じ人に今日の出来事を話す、という行為がないと、自分を保っていられないという感覚に陥った。
取調べ室で何時間も同じことを聞かれ続けると、何が本当なのか分からなくなって、そこから離れたいために、家に帰るために嘘の供述をしてしまうという、アレと同じ感覚なのかもしれない。
自分にとっての「家に帰る」というのは、日記を書く行為だった。様々な体験があり、それを日記に書くことでやっと1日が終わるという感覚があった。
・家を背負って歩いていると、ずっと地続きというか、ちゃんと繋がっていると感じることができた。飛行機で移動すると、目的地には着くんだけど、そこはもう本当にその場所なのか分からない。家を背負って歩くことで、その場所はずっと地続きであることを感じられるし、ずっと近所にいるという感覚になった。
 
Q.今回「ワークショップ」として他人をこの家に泊める という活動をされているが、これは何がしたいのか
・僕が家を背負って歩いた時に感じたような、ずっと近所が続いている感覚だとか、そういうものは他の人も感じるのか、ということを聞いてみたかった。
・今回12-13組の人が泊まってくれたので、これを基にして京都の展覧会でまとめて出すかもしれない。
 
Q.今は何をやってみたいと思っているのか
・色々あるんだけど、この活動の関係で言うと、次はモンゴルでやってみようという話がある。モンゴルの人たちはそもそも移動民族であり、土地に執着がないのではないか。そういう人たちに、土地を貸してくれと話したらどうなるのか、どう感じるのかを試してみたい。
・その他には、また別のバージョンとして「家の壁に広告を付けてその中に住み、その広告料で生活する」という実験をしようとしている。高松の美術館が最初のテストになる予定だけど、なかなかスポンサーを見つけるのが難しい。
 
Q.村上さんが伝えたいことはなにか
・「世の中ってこういうものだよね」と固まっているものに対して、他にもやり方はあるんじゃないかってことを、ただ伝えるんじゃなくて、ユーモアを交えたモノを作って、モノを通して伝えたい、という思いがある。モノにはそれだけの力があると思っている。
・例えば、以前「分煙にご協力お願いします」と書いてある公園で、ビニールで作って長い煙突のようなものを作り、その中で何人かでタバコを吸うというようなことをやった。煙は上から出るので誰にも迷惑はかけない、ちゃんと分煙はできてるっていう。真っ当なやり方ばかりじゃなくって、もっと遊ぶ手段というか、そういうものを作っていきたい
 
以上