さりげなさの美学
少し前に知ったのだが、新幹線の3人座席の「真ん中席」は、 窓側や通路側よりも若干広いらしい。左右を人に挟まれるストレスを少しでも軽減しようという、JRのサービスだそうだ。
いろいろと言われているJRだが、こういう話を聞くとグッとくる。なにより、おおっぴらに宣伝していないところがいい。「何気ない所に、さりげなく親切心が散りばめられている」 僕らはそのことに感動するのである。
ちなみにこの手法は、個人にも適用できる。
よくドラマなんかで、主人公の男が人知れず彼女のために行った行為は、 後で必ず彼女に伝わって「あの人、私の為にそんなことを・・・」って 展開になる。もう見飽きるほどに王道だと思うが、いつだって日本人は、「さりげない善意」に賞賛を惜しまないのだ。
ところが、これを計画的に実行、表現するのは非常に難しい。難しいと いうか、とてもイヤラシイ。計算高さが滲み出てしまっては最悪である。 こういうのは「無欲」なところがまたいいのであって、計算してやったり するのは愚の骨頂なのだ。
ところで、この日記では何かを説明する時、必ず「例え話」が 入っていることに、みなさん気付かれているだろうか。 なんでも、単なる説明より具体的な例で書かれた方が、読む人 にとって分かりやすいんじゃないかという、日記を書いた人の ささやかな配慮らしい。
へぇ、すごくさりげない配慮のできる、優しい人なんだね。
どんな人がこの日記書いてるんだろうね。