メガネ手帖

メガネ手帖

メガネが綴る日々の出来事、妄想、空想、よしなしごと

「ドキュメント コロナ対策専門家会議」を読んだら身につまされてソワソワしてしまった話

f:id:okabe_ryoji:20210606195539j:plain

河合香織さんの 「ドキュメント コロナ対策専門家会議」 を読み、なんだかソワソワしてしまったので感想を書き殴ってみたいと思います。先に言っておきますが、長くてオチも特にないので、お暇なときにでも興味があれば目を通してもらえると嬉しいです。
 
----
 
この本はタイトルの通り、著者の河合香織さんが「コロナ対策専門家会議」に密着し、専門家たちの視点を中心としながら、組織発足から廃止までの5か月間の議論と葛藤を描いたノンフィクションです。多くの示唆に富みながらも単純に読み物としてとても面白く、読み終わった後には一種の脱力感と、このコロナという国難と戦ってきた人たちへの感謝の念が堪えませんでした。
 
本書は、当時の出来事を時系列順に追いながら、その時専門家たちがどういう想いで動いていたのか、それを受けて行政はどういう対応をしていたのか、という記録形式で書かれています。そのため、時が進んでいくにつれてどんどん増していく緊迫感や、過去にSARSやインフルエンザパンデミックの対応をした経験がある専門家たちだからこそ分かるリスクの高さ、それに対して行政側の対応や組織体制が追い付いてこない焦燥感などが仔細に描かれていて、読んでいる側もその場にいるような臨場感を持って読める作品になっています。
 
それだけでも価値があるのですが、この本はそういう「事実」を描きながらも、組織体制としての問題点や、行政・国民・コミュニケーションの取り方の違いやその背景も補足的に説明してくれており、過去を記すだけでなく「これからどうしていくべきか」という視点でも書かれていて、とても考えさせられるものがありました。
 
ここで「考えさせられるものがある」と書いたのは、単純に何か学びを得たという雰囲気で書いているのではなく、実際に自分の立場に置き換えて考えた時に、何をどうするのが正解なのだろうか、ということを考えるきっかけになったからです。もちろんコロナ対策会議と僕は何の関係もありませんが、ここで描かれている「問題点」というのが、普段の自分の仕事の中でも起こっている問題に近しいものがあったので、そのことに身につまされながら読むハメになってしまった、という意味です。
 
----
 
ここで描かれている問題点の多くは、簡素化してまとめると「行政」「専門家」「国民」という立場の違いからくる意見の違いをどのようにマネージメントするのか、という点に凝縮されます。
 
「専門家」はその名の通り、ある議題について専門的な知識を有しているグループです。今回取り上げられていたのは感染症に対する専門家が中心ですが、実際には「マクロ経済」の専門家などもおられたかと思います。「行政」は、それら専門家の意見を聞きつつ、国民の状況や他国との兼ね合いなど、様々なことを総合的に判断して意思を決定するグループです。そして「国民」は、その行政の意思決定の影響を受ける立場になります。それぞれの立場にはそれぞれに期待される役割があり、そしてそれぞれに正義があります。
 
例えばこの本では、このような描写があります。感染症専門家は「感染症拡大抑制の観点からは、そういうことはするべきではない」という意見が出る。国民からは「自粛疲れ」という声も聞こえてくる中、行政は専門家の声に耳を傾けることなく、緩和策へ舵を切ってしまった、というものです。本の成り立ちからは仕方のない事ですが、「専門家」の意見が行政や国民に正しく届かず、忸怩たる想いを抱える…という描写がところどころにあります。もちろん行政の立場からも書かれていることもありますが、やはり多くは専門家寄りの説明にならざるを得ません。いずれにしても、この3者は協力して物事を進める立場である一方で、意見が異なった際には対立することもある、そういう構図です。
 
そしてこの構図は、僕の普段の仕事「システム導入のプロジェクト」で言うところの、「プロジェクトマネージャー」「SME」「ユーザ」にそのまま当てはまるんじゃないかな、と思いました。専門的な知識を有しているSME(Subject Matter Expert)、構築されるシステムを活用するユーザ、そしてそのプロジェクト全体を管理推進するプロジェクトマネージャー。これらの職種にもそれぞれの立場と正義があります。
 
僕は普段「プロジェクトマネージャー」の立場、つまりこの例で言うと「行政」の立場にいます。そして同じように、SME(専門家)の意見を聞き、ユーザの意見を聞き、総合的に判断して決定する、あるいは決定できる人に意見をまとめて持っていく、という役割を担っています。
 
専門家には、専門家の正義があります。システム導入であれば、ITの専門家は「システム的に実現可能か」という観点や、実現できたとしても、保守運用が困難だったり、ものすごく手間とお金がかかる運用になってしまうリスクがある、という提言をしてくれます。そしてユーザは、多くの場合は無茶を言います。その中には「ビジネス的に絶対に必要である」という要求もあれば、単に楽したいだけで言っている、というケースもあります。プロジェクトマネージャーはこれら双方の意見を聞き、自分なりに正解と思う方向へ意見を収斂させ、プロジェクトとして方向性をつけていく。そういう仕事をしています。
 
そしてこの本は前述の通り、専門家寄りに書かれているので、行政がどうしてもやや悪い印象で書かれていたり、不可解な意思決定をしているように書かれています。それを読むにつけ、「いやいや、きっと行政にも様々な情報が入り、複合・総合的に判断してそういう決断になったのでは…」と、心の中でひっそりと応援という名の「弁解」をしてしまっている自分に気付いてしまいました。別に行政に思い入れがあるわけでも、肩入れするつもりも全くないのですが、単純に「意思決定する側と、そうでない側では見えているものが違うのでは」 と感じました。
 
----
 
僕はIT部門に所属していますが、必ずしもIT側の立場に立つわけではなくて、割と中立な立場で判断するタイプだと自分では思っています。むしろどちらかというと、「IT的に許容できる範囲を見極めて、そのギリギリまでできることをしよう」 というスタンスなので、結果としてユーザの意見を8割取り入れ2割は切り捨て、IT的にはちょっとしんどいけどまぁなんとか成り立ちますよ、みたいな落としどころを探す。そういうやり方をしていて、それが僕なりの正義なわけです。
 
なのでIT専門家からすると、一生懸命僕に提言しても基本的に100点では通してこないので、「IT部門のくせにITのことをわかっていないヤツ」と映っているだろうな、と感じることもしばしばあります。これってまんま、専門家から見た行政の立場じゃん、と思ってしまって、どうにも専門家に100%共感することができませんでした。きっと行政側にも、総合的に考えて決断した根拠があるはず、いや、あって欲しいと、そう願うわけです。もし続編や違う方の書かれた本で、コロナ対策について行政側の立場で書かれたものがあれば、ぜひ教えてください。
 
この本を読んで、コロナ対策にまつわる政策決定の裏で必死になっていた専門家たちの活動を知ることができましたが、それに加えて、改めて「それぞれの立場に、それぞれの正義がある」ということを思い出しました。今回の例では、バランス感覚的なことを書きましたが、他にもこの問題を解決するためにコミュニケーションの取り方を変えてみたり、それぞれの立場に期待されていることを少し調整して明確にするとか、組織論的なアプローチで解決する方法もあると思います。
 
慣れてしまったことで、こういう新しいやり方を模索するということをすっかりサボってしまっていたことにギクリとしたので、改めて自分の意識ややり方を見直してみないとな、という気持ちになりました。
 
----
 
…というようなことが頭に浮かんでゴチャゴチャになり、なんだか心がザワザワしてしまったので、頭を整理するためにこうやって感想を書き殴ってしまいました。書いてみたらずいぶんきれいなことを言っているようになってしまって、だいぶカッコつけてしまったなとは思いましたが(笑) そして書きながら、以前大学生とか若い社会人に「プロジェクトマネジメントについて教えて欲しい」 ということを何度かリクエストを受けたことがあるな、ということを思い出しました。
 
今日書いたようなことは、いわゆる学術的なプロジェクトマネジメント方法論には載っていない話だと思いますが、こういうことももう少し汎用化して、記録としてどこかに書いて残しておきたいなと思います。誰かの役に立つかもしれませんし。需要あるかどうかもわからんですが。。

 

#河合香織

#コロナ対策専門家会議

#プロジェクトマネジメント